古代、朝廷の命令で朝鮮半島の任那(みまな)、百済(くだら)の救援に派遣された
青年武将大伴狭手彦(おおとものさでひこ)は、
停泊地である松浦の地で土地の長者の娘「佐用姫」と恋に落ちます。
やがて出帆の時が来て、別離の悲しみに耐えかねた佐用姫は鏡山に駆け登り、
軍船にむかって身にまとっていた領巾(ひれ)を打振りました。
それでも名残はつきず、佐用姫は鏡山から飛び降り、
呼子加部島(よぶこかべしま)まで追いすがったものの、すでに船の姿はなく、
悲しみのあまり七日七晩泣き続け、ついに石に化したというものです。
この物語は、万葉の歌人たちにも数多く詠まれるものとなり、
以後詩歌や能などの文学や演劇の題材にもなりました。
鏡山はこの故事から「領巾振山(ひれふりやま)」と呼ばれるようになったといいます。